火花
しばらく更新をしなくてすみません。
これからは、しっかりとやらなければ!
ところで、先日芥川賞・直木賞が発表されましたね。
特に芥川賞については、お笑い芸人 ピースの又吉 直樹さんが受賞とのことで報道もいつもより過熱気味。
読書は好きな方なのですが、「芸人が芥川賞? 質が落ちたもんだな」なんて思っていたのも本心です。事実、当夜のニュースステーションの古館アナウンサーが私の考えを代弁したような形となりましたが、ネット上では色々な意見が錯綜とのこと。
「すごいなぁこの方々と思うんですけど、それとは別に芥川賞と本屋大賞の区分けが段々なくなってきた感じがする」
いわゆる炎上ってやつかな?(そこまではいってないかも)
でも、テレビでいくら美味しい料理だと放映されても、実際食事をしてみると、美味しくないことなんてザラですよね。また逆も然り!!
ならば、先入観なんか取っ払って読んでみようと思ったのが発表当日を過ぎた夜中の2時。いわゆる丑三つ時。実は私はかなりミーハーなのかもしれません。
こんな時間に本屋なんか開いているわけがない!また、純文学がコンビニに売っているわけはない。
時代は混沌と進化し、それを凌駕できるかは自分次第
電子書籍なる物が存在し、今やペーパーレス時代
KINDLEで購入し、タブレットで早速、夜中の1時半から読み始めました。(技術の進歩を改めて感じながら)
小説の題名は「火花」。
花火の描写が冒頭に書かれ、どうして火花?なんて思いながら読み進める。
前半は、文章を書きなれていないというか、全体的に口語が関西弁であることも加わって、抵抗を感じておりました。
でも、情景描写がうまい。というか確かに純文学的。
読み進めれば読み進めるほど、のめり込む自分を感じながら、今まで読んだことがない「お笑い」というフィールドを垣間見る。
通常の紙での本は、今どれくらい読んだのかなぁと、その厚みから察することはできますが、電子書籍はもっと詳しい。何パーセント既読と確認でできるし、もっとすごいのは、今のペースで読み進めるとあとどれくらい(○時間×分)で読み終わるとまで画面の隅に出てくる。つまらない小説や参考書ならば、自分の勉強の成果や読破の進行を感じるための機能としては素晴らしいが、「火花」には不必要。
読み終わった時の何とも言えない感情というか感覚。時計を見ると5時近くをしめし、外を見ると久しぶりに曙を感じることができました。(曙というには季節が少し遅いですかね)
面白かったです。正直、先入観を持っていた自分を恥じました。
又吉さんは読書が趣味とのこと。随所にきれいな日本語を感じることから、読書が好きというよりも、その中の文章や単語、そしてその連なりを楽しむことができる人だと思いました。
決して私には「嘯く(うそぶく)」とか「残滓(ざんし)を煌(きら)めかせながら」なんて文章は書けない
また、どんなに取材をして本を書くにしても、当事者でなければ伝わらない内容ってあると思うのですが、お笑い芸人の世界の下積みを含めて酸いも甘いも書かれている。
最終部分のエピソードは、賛否両論かと思いますが、お笑いを生業としている人間にとっては、何かしら最後に「オチ」をつけたかったというか、驚かせたかったというか、気持ちが伝わってくる。お笑い芸人だから書けた内容でした。
次回作が楽しみだなぁ。でも彼の恋愛小説には興味が湧かないし、敢えて書きそうな内容としては太宰治の「人間失格」的な、自己分析小説かな? 無機質な文字の羅列が作り出す文章から、それを捻り出すために彼のもがき苦しむさまが見られると、もっと面白くなりそう。
ところで私の一番好きな小説は、遠藤周作の「沈黙」です。
何度読んでも、その終わりには空しさを感じる一方、清々しさも去来する。読書って本来楽しいものであった方が良いと思う。ハッピーエンドなら読み終わった後に幸せな気持ちになる。でも反面歯ごたえを感じない。矛盾ですね。
映像がデジタルならば、文章はアナログ。でも、実は想像を画きたて、鮮明に頭にこびり付く映像を作りだすのはアナログである文章ですよね。
普段ビジネスや歯科医療関係の本ばかりに触れている私にとっては、「火花」読書後、「活字の力」を感じました。やっぱり原点回帰!デジタルも大切だけど、基本はアナログ。
医療人としては、最先端の医療器材も大切だけど、人に接するという気持ちの方がもっと大切。
いつでも、最後は「初心に戻る」ってことでしょうか。
これって、ビジネス本の読み過ぎの弊害かなぁ?