下安先生との出会い
下安先生って、歯科医師ですか?
いえ、違うんです。塾の先生で、今は塾長です。
塾長? 何だか怖そう!
怖くなんかありません、学習塾の先生ですから。
当時の名前は松原学院、今はMAINSといいます。
私、大学生時代に塾の先生として、旧松原学院でアルバイトをしておりました。
複数の教室があり、本院の院長が下安先生だったんです。
昔の自分を少し分析してみると、一言! いい加減だったなぁ
もう20年以上も前ですから、時効ということで勝手ながら許しを得て、記載させて頂きます。
現状は分かりませんが、その当時塾の講師には、正社員とアルバイトがおりました。
自分が歯科医院を経営してみて分かったことでもあるのですが、アルバイトと正社員って温度差があるんです。
だからと言って、自分が教えている授業で手を抜いていたわけではありませんよ。
温度差の所以は、何を生業にしているのか?何をヤリガイとしているのか?ってこと。
当時の私の生業、ヤリガイは?というと、塾講ももちろんですが、一番は学業ということになります。理系、特に医系は、授業に出席しなければ単位をもらえない。決して良い成績ではありませんでしたが、でも出席しなければならない。そして課題が与えられ、極力逃げるようにはしていたのですが、これも積もり積もると凄いことになってしまう。
何度かしかありませんが、塾の講義(仕事?アルバイト?)と学業の二者選択を迫られるときがありました
社員ならば、そんな選択肢は存在しない。でも学生だとどうしても学業を優先しなければならない時がある。というか、それを言い訳にするときもある。
教えていたのは主に中学3年の数学でした。
実は一番教えやすい科目かもしれません。成績ごとにクラス分けされているからです。
人間形成の過程の年齢ではありますが、ある程度出来上がっている時期。
本当に面白い仕事でした。でも、今更ながら考えるとやっぱりアルバイトなんです。
社員の先生は、毎日、毎日、教え方や一人一人の子供の特性、そして成績向上についての評価を受けている。
いわゆるアマチュアとフェッショナルとの違い。
だから、今更ながらいい加減だったなぁと感じるんです。
でも、そんな私を、見放さない人がいました。
そう、それが下安先生。
自分が先生として中学生に教えている身でありながら、怖かったなぁ。怒られたなぁ。
今思い返してみると、怖い中に優しさがありました。
今でも忘れません。歯科医院が開業したその日に、患者として来てくれたことを。
塾の講師をやめて10年以上も経過していました。
「お前が開業するって聞いたから、来たよ」
涙が出るくらい嬉しかった。
歯科医院の開業って、実は経営者としては凄く不安だったんです。
そんな中に、訪れた幸せ。
自分もそんな上司でありたいと思っています。でも、これがなかなかできない。
一生、人の上に立つって何だろう? 人に教えるって何だろう?と悩んでみます。
答えのない答えを求めるって、ある時はもがき苦しみますが、ほんの一瞬でも喜びを与えてくれますので。